バナナは 超高級品

ナナを房ごと買ってきた。ときどきこれをやると適度のストレスの解消になる。なぜかというと、幼少のころのバナナへの強い思い入れがあるからだ。

入自由化の前にはバナナは非常に高価なものであった。他の果物にはない不思議な香りと食感。親からバナナをもらうと、こんな幸せがあっていいものかと思うくらいどの子もニコニコ顔になってしまう。もっとも普段買ってもらえるものでもなく、このあこがれの食べ物に巡り合えるのは、遠足のときか誕生日か熱を出して寝込んだときくらいなものであった。だから、いっぺんに食べてしまったりはしない。まず半分を大切に食べて、半分はこの至福を明日に持ち越すのである。万が一、いっぺんに食べてしまったときには、翌日半分持っている弟がうらやましくて、少しわけてくれという話から必ず大喧嘩になる。今から考えても実にくだらない兄弟であった。しかし、ご存知のように皮をむいてしまったバナナは翌日には茶色に変色してしまい、味も著しく劣る。子供だからこのへんの計算はまったくできない。当時は子供なら誰でも思ったことかも知れないが、一度でいいからバナナだけを腹いっぱい食べたいなんて考えていた。

る日父親と出かけて、繁華街のど真ん中でバナナの叩き売りというのを見物していた。このとき初めてバナナはあんなに大きな房になっていることを知ったのだ。恥ずかしながら一本一本が木になっているのかと思っていた。最初は驚くほど高い金額を提示している鉢巻おやじが、バンバン台を叩きながら値段を下げていく。それでもきっと安いレベルではないのだろうが、群集心理も手伝って、どこか一定の金額で売り切ってしまう。それも、あこがれのバナナであるから、買った人はみんなの羨望の視線を浴びながらバナナを抱えて帰っていくのである。さて、何度目かの叩き売りの実演のときに、父親がさっと手を挙げた。これは予想していなかった事態だ。父親が
20本以上もあるバナナを房ごと買ってくれた。弟と小躍りしながら自宅に帰る。自宅ではさらに信じられないことが起きる。なんと私も弟も生まれて初めて2本のバナナを分け与えられたのだ。もちろん1本目はその夜にいただいて、もう1本は枕のそばに置いといて明日の楽しみは倍増となる。今度はむいてしまったバナナではないし、茶色に変色しているはずもない。

起きると同時にバナナを探すが見当たらない。そんなわけがない。弟を疑うが、弟はまだスヤスヤ眠っている。もしやと枕をひっくり返してみるとそこにはべちゃっとつぶれて枕に張り付いてしまった無残なバナナがあった。