思い出の 魚肉 ソーセージ

れは、不思議な存在ではあった。もう物心付いた時には「そこにあった」のである。魚肉ソーセージが魚でできているなんて、今でも信じられない。第一あの色はどうなっているのか。あの弾力は・・・当時は「魚肉ソーセージ」などとわざわざ呼ばなかったかもしれない。魚肉ソーセージをキャベツと一緒に炒めるという料理が子供の頃は一番の好物であった。(いや、コロッケの次くらいだったかな。)母親が台所で魚肉ソーセージの透明の皮をむく(皮と言ってもビニールみたいなものだけど。)。しかし、当時は両端に金属のリングが着いていて、どうしてもほんの5ミリ程が無駄になる。それを調理前に切り落としたものを母親に分けてもらうのである。このリング付きの5ミリの端っこの争奪戦が私と弟の間で行われる。二人で2個なんだから、ひとつずつもらえばなんでもないのであるが、なんだか訳のわからないことで兄弟喧嘩がはじまったりする。これは、冷やしそーめんに一本だけ入っている赤い麺と同じくらい譲りたくない権利であったのだ。

肉ソーセージをサンドイッチの具にすると、これもなんとも美味である。輪切りにしたやつを4枚、薄切りの食パンに乗せてマーガリンをたっぷりと塗りたくるのだ。これは子供の頃自分で作れる唯一のランチでもあった。そうして不思議なことに、これにはコーヒー牛乳というものが一番合う。当時は毎日食べてもいいと思うくらいの好物だった。

る日、この愛しの魚肉ソーセージに突如強力なライバルが現われた。まっ赤なウインナソーセージの登場である。あれはなんであんなに赤かったのだろう。隣の席の子が弁当のおかずに、赤いウインナソーセージを炒めたものをたくさん持ってきた。それから毎日毎日必ず玉子焼きとウインナソーセージなのだ。これは、負けていられない。母親にねだって私もウインナソーセージに変えてもらうことにした。すると衝撃の味。今から思えば偽者の魚肉ソーセージを先に知ってしまった私は、初めて本物のソーセージと向かい合うことになる。あんなに素敵だと思っていた魚肉ソーセージ君ごめんね。君より好きなものができてしまうかもしれない。この一方的な決別宣言は、その後の私の人生に大きな影を落とすことになる。

れから何年が過ぎただろう。もう大人になった私は、会社の帰り道に酔って入ったコンビニの片隅で、魚肉ソーセージとの運命的な再会を果たす。昔より数段おいしくなっている食パンとともに、一度に3本もの魚肉ソーセージを購入し、深夜のサンドイッチに興じたのだ。そうだ、この味だ。なんて私は薄情な人間だったのだろう。本物も偽者もない。最初からこれが好きだったんだ。もう二度と忘れることはない。私の心の中ではソーセージとは魚肉ソーセージのことだったんだ。今では私の冷蔵庫に魚肉ソーセージがなくなることは絶対にない。